a stranger in paradise

相棒NikonF3と 旅に出る cafeに癒され shopを巡り 草花を愛でて 季節を惜しむ そして 人と出会う

どこにいこうとしているのだろう。 







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                                      <Mrs. Kitchen +3 名古屋>






写真も、好きなカフェ散歩も今の気分を言えば、三つ又の道に差し掛かって「さて どの道行こうか」というふう。

ことはその2点に留まってはいなかった。道はいずれも遠くに続いているが、「はて どっちに行こうか」と思案して立ち止まっている。こういうの「あったよな」と妙に観察者な自分がいる。長く生きていた証拠か。生きるって選択の連続だった。

選ぶって時にしんどい行為なのだよね。優柔不断に陥ることも多々あった。だが、今回の三つ又はひと味違っている。不安が頭をもたげているふうではない。なんというか…あぁまた脱皮をする時が来たか…という、なにか抗いようのないものが心の奥の方から風のようになって表面に向かって吹き上がって来るよう。

生きていると何度か脱皮するのだよね、人間も。

それ節目とも言ってね、時に厳しい選択を迫られる時もある。中には選択の余地すらないことも。そりゃぁ疲れも溜まるし、無理も利かなくなるさ。年をとって身も心も頑張りが利かなくなったよね。すぐにへたり込んでしまう。情けない自分…想像したか?二十歳の時? しなかったよね、笑。

でもね、そうそう不憫なことばかりでもない。年を重ねるってさ、無理が利かないから自分を労る(いたわる)ようになった。あまり無理強いしなくなった…できなくなった。人間関係もそう。

人は利害で人を選ぶ。つきあう相手をね。手前味噌だが、私はそういうの一切やめた、とっくの昔に。背負った言い方で申し訳ないが、色々あり過ぎたせいだろう。イヤなんだよね、損得とかで人を選ぶ自分。もう居心地悪くって仕方ない訳さ。

それは「心の声」

「あんた(自分だけど、笑)そんなんで良い訳?」って「心を汚すことはしない方が良い。踏ん張れ!」って言ってるような感覚が度々あって、踏ん張れなかった時の残念さを痛感させられた経験も数あって、七転び八起きした訳さ。

大抵の人は利害で人間関係を人生を終えるのだろう。不遜な言い方しかできないが、私はそうはならない道をこれからも選ぶだろうと思う。もちろんお世話になった人を大切にしないってことではない。如何に人のせいにせずに生きていけるかのレッスン。人は生きている間ずっと心のレッスンをするのだと思う。性根に磨きをかける機会を得ているってことなのかなあ。

故に三つ又に立って思うのは、どの道を行こうと未知数に物語を書き足すのは自分ということ。そこで出会う人やものは『縁』。袖すりあわせる縁には相性や価値観の相違があるけれど、それもまた一興なのだと思う。趣味趣向も同様に。

私は無類のカフェ好きカメラ好きのひとり。写真は私のライフワーク。生き甲斐がある、やり甲斐があるって幸せなこと。落ち込むこともある。立ち止まることも。そういう時って転機なんだと思う。実際、今がそう。

どこにいこうとしているのだろう。

分からないから面白い。居直りか?多分そう。
生きるって冒険。ひょっこりひょうたん島の心意気か、ないか?「苦しいこともあるたびさ♪ 悲しいこともあるたびさ♪ だけど、僕らはくじけない♪」ただし私は「泣く時ゃ泣くし、笑いたきゃ笑う♪(字余り)」

何処に行こうとしているのだろう?






                                        そんなの分からないよ、笑。
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